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【2024/04/20 02:08 】 | | 有り難いご意見() | トラックバック()
親の存在
今日の昼食の時、友達が「親のお金で生活している以上(じりつ)してるとは言えない」
というような内容の発言をしていた。

一般的に、親のすねをかじっているうちは(じりつ)という言葉を使えば、
どこぞの親の怒りを買うかもしれない。
もちろん、親のお金をもらっているのは、学校に行かせてもらっているからである。
そうでなければ、今は働いているに違いない。

では今、切磋琢磨働いてる同級生は(じりつ)しているのだろうか?
親から金銭的援助をもらうことなく、日々労働力を供給している彼ら。

金銭的援助の有無で、人は自律し、また他律するのだろうか。
私の友人が意味したのは、文字通り「自立」であって、自律ではなかったと思う。
要は、じぶんの行動を自分で規制する事。
それは、決して金銭的援助だけで決まるものではないと思う。

車を買う!!
以前、親にそう言った事がある。
免許を取ったばかりで、乗りたかったのだろう。
しかし、親には報告だけをし、同意を求めなかった。
それは、一応、資金は全てこちらで用意するのだから。
親もまたそう思ったのか、反対は決してしない。
アドバイスという形で、コメントを寄せる。

結果、私は車を買わなかった。
それは、最終的には自分の判断で…(自分の行動を規制したのである)
でも、親のアドバイスが大きな判断要素になったことは言うまでもない。

私は来年留学する。
留学を決めたのも自分だし、行き先、学校、予算、全て自分で決定した。
しかし、やはりそこにも親のアドバイスが存在した。

逸脱した行為にだけ、反対を表明する親。
将来の自分に先行投資をしてくれているのであろう。
そんなやり方を、私はとてもいいと思う。
子供は、頭が悪いから「自分で何でもやっている!!」と言う錯覚に陥らせる。
それは、同時に子供達の自信にもつながることである。
ただ、彼らは決して極端に道を外れる事はない。

私はそれでも、自由奔放に生きていると感じさせてくれる親に心から感謝している。
自分が同じ問題に直面した時、今日の事を思い出す事が出来たら…
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【2002/11/20 23:30 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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